「ヤマト会議のブログに『映画監督・舛田利雄~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~』という本にヤマト関連の記述があるとあったので、図書館を調べて関連ページのコピーを取ってきた」
「へえ」
「かえってゆっくり読んだけど凄いな」
所在を探せ! §
「都立図書館のサイトで、実は都内の各区等の図書館も串刺し検索できるので近隣の区から探した」
「それで?」
「新宿の戸山図書館が所蔵していた。なんとか自転車で行ける距離だ」
「戸山図書館まで行ったの?」
「実はページの見方が分かってなくて、別ページに杉並の結果があった。杉並は2つの図書館が所蔵していた。1つは貸し出し中だったので、もう1つ中央図書館を目指したのだ」
「あった?」
「あったあった。入ってすぐPCで検索すると番号が分かって、配置地図と照らし合わせるとどの辺にあるかすぐ分かった。開架であったから苦労しなかった」
内容 §
「内容は第1シリーズから完結編までいくつかのタイトルに言及がある」
- 第1シリーズ
- 第1シリーズ劇場版
- さらば
- 2
- 永遠に
- 完結編
「かなりゴージャスだね」
「このうち、舛田利雄さんが本格的に関わったのは『さらば』だけだそうだ。他のタイトルでも意見を言ったりダメを出したりはしているのだけど」
「特にポイントは何?」
- さらばは、舛田利雄映画である
- 実写の発想でさらばは作っている
- 斎藤始は舛田利雄のオリジナルキャラである
- 最後の余計なメッセージは西崎さん(舛田さんは反対だった)
- さらばは右傾化では無くWE ARE NOT ALONEの思想
- クライマックスが零戦黒雲一家と同じなのは意図したことではない (自分なりの意見が出たものが一致した)
- さらばの特攻して終わる構想を考えたのは舛田さんではなく西崎さん
凄くいろいろ分かった §
「これで凄くいろいろ分かってきたぞ」
「それはなんだい?」
「だからさ。さらばの絵は湖川さんだけの功績ではない。まず、舛田利雄の実写的な発想があり、それを湖川さんは描けた。舛田さんが外堀を埋めて湖川さんが内堀を埋めた。それで、あの絵が出来上がったわけだ」
「実写の発想とそれに関係があるの?」
「あるある。大あり」
「どこに?」
「アニメというのは基本的には記号なんだけど、そこから記号に徹する方法論と写実性を意識する方法論がある。記号に徹するとアニメは平面的な絵になる。写実性を持ち込むと立体的な絵になる。立体を意識すると『煽りの構図』が描けたりする」
「煽りの湖川さんだね」
「逆に、記号化が徹底的に到達した先が今時の萌えアニメなのだろう。絵に緊張感が無い状況が一向に改善しないのは記号の末路なんだろう」
「なぜ?」
「記号は確定したら変化できないんだ。マイナーなファッションの変化はあり得ても、本質的には変われない。だから変化が訪れずにマンネリ化して緊張感が生まれない」
「変われないって具体的にどういうこと?」
「たとえば、突然リアル等身から低等身に変化する演出。これも記号の一種。そんなの、軽シンの時代からある手垢の付きすぎた表現だけど未だに使われる。でも、これは記号としてのお約束を知らない人にはとても分かりにくい表現で良くない。だけどやめられない。彼らの記号体系の一部だから。記号表現者にとって記号を放棄することは表現手段を放棄することに等しくて受け入れられない」
「ひぇ~」
「従って、アニメは常に記号からの逸脱を志向しない限り表現としては死ぬと思うが、それに逆行したのが萌えアニメってことだね」
「分かった。話はそれで終わり?」
「いいや」
「なんだよ」
「ヤマト2の謎、特に斎藤の謎が解ける」
「何が謎なんだよ」
「さらばと2の最大の違いは何だと思う?」
「古代が死ぬか生きるか?」
「それもあるが、もっと重要な相違は斎藤だ」
「どう違うの?」
- さらばの斎藤は藤堂の手先であり古代に匹敵する男である。真田の見せ場を盛大に盛り上げて死ぬ
- 2の斎藤は偶然やむを得ずヤマトに乗ったお子様である。古代よりも格下の我が儘男。都市帝国で1人で死ぬ
「それがどうしたの?」
「桝田解釈の斎藤と、松本解釈の斎藤の違いが出たと思うべきなんだろう」
「えー」
「桝田解釈の斎藤は、古代とぶつかりながら相互理解を深め、最後には最も頼れる盟友として死ぬ。何しろ真田を守って死んだのだからね」
「松本解釈だと?」
「松本解釈になると、古代に迷惑をかけるやんちゃ坊主になってしまう。そして、真田を守って死ぬような見せ場ももらわないで1人で死ぬ」
「なぜ1人で死ぬの?」
「要らない子だからだろう。松本ヤマト世界は斎藤抜きで成立しているから、最初から最後まで斎藤は異分子。要らない子なんだ」
「だから、死んではいけない2世界で斎藤は死んでしまうのだね」
「何しろ桝田キャラで、自分のキャラじゃないからな」
オマケ §
「要らない子だからだろう。松本ヤマト世界は斎藤抜きで成立しているから、最初から最後まで斎藤は異分子。要らない子なんだ」
「さらばの斎藤は古代の力にこそなれ、邪魔になることは無いよね」
「でも2の斎藤は思いっきり邪魔ばかり。コスモタイガーに勝手に乗るわ、第11番惑星に寄りたいとだだをこねるわ」
「その結果、与えられたのは最後は都市帝国と引き替えに1人で自爆。悲惨すぎ」
オマケ3199 §
「要らない子だからだろう。松本ヤマト世界は斎藤抜きで成立しているから、最初から最後まで斎藤は異分子。要らない子なんだ」
「なぜ要らないと言いきれるの?」
「旧ヤマト乗組員は名前を守って3199年のヤマトに結集したけど、斎藤は来てない」
「ぎゃふん」
オマケよ永遠に §
「要らない子だからだろう。松本ヤマト世界は斎藤抜きで成立しているから、最初から最後まで斎藤は異分子。要らない子なんだ」
「えー」
「永遠にだと、斎藤の後継者達は奇襲でやられる役。地球で勝利を掴むのは森雪の役」
「ぎゃふん」
オマケ完結編 §
「結局、完結編ヤマトの誤算は、空間騎兵隊を乗せていなかったことだ」
「乗せていたらどうなるの?」
「ウルクに乗り上げたあとの戦いは、空間騎兵隊が主役になる。島まで無理に戦う必要は無いから、島も死なないで済む」
「その場合はどんな成り行きになるの?」
「敵は大ロボットホース隊だ。多弾塔砲を頼む」
「それで?」
「最後はルガール総統と一騎打ちで射殺に成功」
「そこで話が終わっちゃうから。ルガール総統が襲撃してきて、デスラーが助けに来られないから」
さらばオマケ §
「今にして思えば、多弾塔砲ってMLRSのイメージだよなあ」
「だけど多弾塔砲は組み立てる必要があるだろう?」
「陸自のMLRSはライセンス生産だから、こっちで組み立てる必要があるんだよ」
「ぎゃふん」
オマケの現実 §
「『リアル系作画』についてのご意見みたなのをネットで見たけど、これはここでいう実写の発想とは別物だろう」
「なぜそう思うの?」
「実写の発想とは空間を立体的に把握して活用することが前提なのだ」
「実写が撮る世界はもともと立体ってことだね」
「そうだ。しかし、どれだけ作画をリアルにしたところで、演出的に空間を把握できねば結局演出が記号的になってしまうのだ」
「影を付ければいいとか、影を三段にすればいいとか、目を小さく描けば良いという話では無いわけだね?」
「その通り。あり得ないぐらい大きな目が付いた女の子キャラだろうと、空間の中を生き生きと動き回れば印象が変わる」
「もっと具体的にヤマトでいうと?」
「たとえば、ブラックタイガーに比べてコスモタイガーがリアルということはない。しかし、コスモタイガーには三座型がある。バリエーション機があると言う発想が写実的なのだろう」
「ブラックタイガーという記号に徹するとバリエーションは必要無いってことだね」
「記号に徹するなら1つの方がむしろいい」
「そうか。だから陳腐なロボットアニメは第1話から最終回までロボは1体きりなんだね?」
「そうだね。だからこそ、実写志向は作画とは直接結びつかない問題だ」
「でも、ヤマト2でもコスモタイガーのバリエーション機の雷撃機が出てくるよ」
「ところが1回限りのゲストメカなのだ。土方艦隊がいくら苦戦していても支援に飛んでこない」
「ぎゃふん」
「その流れから行けば、復活篇のコスモパルサーも発想が写実的なのだろう」
「バリエーション機多いからね」
オマケのオマケ §
「『映画監督・舛田利雄~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~』を見るとあの感動が壊れちゃうという警告もあるけど?」
「感動を壊す無粋な奴なら映画ロードショー公開時から既に山ほどいたぞ」
「今さら、その程度のことはガタガタ言わないってことだね」
「ヤマトは無理解の海を渡る船だしな」
「周囲の非難が間違っていてヤマトは無罪ってことだね」
「いや。突っ込みどころは多いから無罪とも言いかねる」
「ぎゃふん」
「でも、それが愛すべき我らのヤマトだ」